千葉縣 君津郡 湊町 有限會社 渡佐商店特製 ヒシエスサイダー

現:千葉県 富津市 湊に 曾て存在していた地サイダーの空瓶

昭和20年代から30年代初頭頃の湊町の風景
左端から渡佐商店・萬歳館・千葉銀行湊支店・福本楼と続く

令和7年8月現在 同地点の風景
当地域に生まれ育ち物心ついた頃 この通りには 飯田ラジオ店や久保牛乳などが
立ち並び 渡佐商店の姿は既に無く その存在すら知らなかったが 昭和レトロ瓶の
収集を始めた際 入手したサイダーの空瓶の中に偶然発見 瓶に貼られたラベルの
情報から 当時の渡佐商店の写真に辿り着くことが出来た

渡佐商店の店先に積まれた焼酎瓶や清酒の一升瓶 木箱にはサイダーの文字も見える

トレードマークは ◇にSで ヒシエス
昭和30年(1955年)湊町・天神山村・竹岡村・金谷村が合併して天羽町になった
事により 昭和30年以前から このサイダーが製造されていたと判明

ラベルに記された 日本政府 物品税の証

物品税のポスター 昭和26年(1951年)
物品税は 贅沢品や嗜好品を対象とする国税の一つで 昭和15年(1940年)から
消費税導入前の平成元年(1989年)3月31日まで施行されていた
渡佐商店の販売するサイダーには物品税表示証が記されている 又添加物として
サッカリンやズルチンの表示も確認できる
戦後日本では砂糖が不足し 代用として安価な甘味料のサッカリンやズルチンが
昭和21年(1946年)から使用され始めたとされる
因みに 戦後三ツ矢サイダーの製造が再開されたのも昭和21年からでサッカリン
やズルチンが砂糖の代用として使われていた
以上の事から 渡佐商店のヒシエスサイダーも 戦後間もなく砂糖の代用として
サッカリンやズルチンを使用して販売を開始したものと思われる
戦後80年 いつしか渡佐商店は地元の人々から忘れ去られ 今では残された1本の
空瓶が当時を物語る唯一の証しとなって残されているのかも知れない

現:千葉県 富津市 湊に 曾て存在していた地サイダーの空瓶

昭和20年代から30年代初頭頃の湊町の風景
左端から渡佐商店・萬歳館・千葉銀行湊支店・福本楼と続く

令和7年8月現在 同地点の風景
当地域に生まれ育ち物心ついた頃 この通りには 飯田ラジオ店や久保牛乳などが
立ち並び 渡佐商店の姿は既に無く その存在すら知らなかったが 昭和レトロ瓶の
収集を始めた際 入手したサイダーの空瓶の中に偶然発見 瓶に貼られたラベルの
情報から 当時の渡佐商店の写真に辿り着くことが出来た

渡佐商店の店先に積まれた焼酎瓶や清酒の一升瓶 木箱にはサイダーの文字も見える

トレードマークは ◇にSで ヒシエス
昭和30年(1955年)湊町・天神山村・竹岡村・金谷村が合併して天羽町になった
事により 昭和30年以前から このサイダーが製造されていたと判明

ラベルに記された 日本政府 物品税の証

物品税のポスター 昭和26年(1951年)
物品税は 贅沢品や嗜好品を対象とする国税の一つで 昭和15年(1940年)から
消費税導入前の平成元年(1989年)3月31日まで施行されていた
渡佐商店の販売するサイダーには物品税表示証が記されている 又添加物として
サッカリンやズルチンの表示も確認できる
戦後日本では砂糖が不足し 代用として安価な甘味料のサッカリンやズルチンが
昭和21年(1946年)から使用され始めたとされる
因みに 戦後三ツ矢サイダーの製造が再開されたのも昭和21年からでサッカリン
やズルチンが砂糖の代用として使われていた
以上の事から 渡佐商店のヒシエスサイダーも 戦後間もなく砂糖の代用として
サッカリンやズルチンを使用して販売を開始したものと思われる
戦後80年 いつしか渡佐商店は地元の人々から忘れ去られ 今では残された1本の
空瓶が当時を物語る唯一の証しとなって残されているのかも知れない
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